25年かかって、記憶障害が、治った。
仕事は10年前に失っていた。
ハローワークでは、病人扱い。
今は、無職・低年金老人。

なんで、治ったか? いや、
なんで今まで、治らなかったか?

たぶん、家業の田舎の寺の手伝いで、
爺さん、婆さんと仲間になって、治った。
医師は病気が何かわからないまま、
薬を漫然と、処方し、副作用で、
良くなるのを妨げていただけだ。

リタイアし、社会の制度のそとに
いるような老人の、自分では
意識していない力というものが、
社会で平衡感を失った人のこころを
救うことがある。

社会で病んだ人間を救うのは、
社会に住む人、人薬だ、
ということに、気づいた。

不破英紀


個々人の、こころのなかにある

善意というものを保つため、

社会や制度はあるべきだ!


そう考えるようになった

わたしが、これから

実現したいこと


①ノーモア モルモット



  (  以下に記載)

②中間層への支援

  障害者でもなく  健常者でもなく

③老人の伝統文化力

精神疾患を予防し治すのは、社会の力

ノーモア モルモット


➀  モルモットは、どのような運命にあるのか


モルモットは、自分がいかなる研究に利用されるのか
知らされないし、選択することもできない

研究者はモルモットが、かわいいから飼育しているのではなく、研究に役立つから、利用価値があるから、飼育し、観察している。

モルモットが、いつまでたっても病気で、具合が悪いままであっても、それを観察して研究成果とすることもある。

研究に要らなくなったら、モルモットは、解剖されるか、捨てられる。
ペットのように、ずっと、飼い続けるということはない。




➁わたしは、名市大病院のモルモットだ、と気づいた。






わたしは名市大病院のモルモットだった。

そのことを、2015年07月、わたしは開示したカルテを見て、初めて知った。
さらに、その後、ネットで自分についての論文があるのを見つけた。

カルテや論文の記載から、2005年2月、わたしに、担当医師がMRIとSPECTを勧め、さらに「説明文書と同意書」への署名を求めたのは、わたしについての研究を完成させるためだった。

わたしのことは、翌年2006年9月、名古屋で開かれた学会で発表され、さらに、翌年2007年2月、論文として、学会誌に発表された。

論文は、わたしの病歴、職業、家族環境などを詳細に報告し、それを心気症と診断できることを説明するものであったが、わたしには、そのような論文が存在することは、まったく知らされていなかった。

さらに、不可解なのは、カルテには、学会発表のことも、論文が存在することも、一切、書かれていないばかりか、わたしの病気は統合失調症とされているということである。

明らかに、わたしは臨床研究のための患者、モルモットだと考えられるが、裁判で、名市大病院は、さまざまな証拠があるにもかかわらず、それを事実として、認めなかった。
そして、裁判官も 判決で、臨床研究ではないと、根拠も示さず、断じた。



しかし、

「高次脳機能外来で高次脳機能検査、質問紙による評価、および頭部MRIとSPECTを施行すること、およびこれらのデータを脳機能の症状との関連の研究のために匿名で利用させていただくことへの説明文書と同意書」
という文書が患者であるわたしに、わたされ、そこに担当医師とわたしの署名しているのに、臨床研究の対象でないと、いうのはどうであろうか。

名市大病院は、このような文書には、何の意味もないというのであろうか。
であるならば、患者は、空証文で騙されて、モルモットとされるだけという場合が、これからも、おこるということではないか?


わたしが、「ノーモア モルモット」 を、訴えるのは、名市大病院の、患者をモルモットのように扱い、犠牲にしてでも研究業績をあげるという姿勢を改めてもらいたいからである。

そして、このような弱者の人権を大事にするということが、社会全体にとっても、有益であると考えるからである。